嫁の毒親と接して思い出した過去の苦い記憶(その2)

若い頃体験した話

こんにちは。おやつです。

 

前回からの続きになります。

 

知り合って間も無い女性の部屋で同居生活が始まる事となったのですが

初っ端からいろいろ気になる事柄がありました。

 

仕事のストレスで自律神経などを少し病んでしまっているので

ここ暫くの間休職中で、あと少し休んだら復職する予定との話でしたが

実際は休職中では無く無職でした。

ココで気に掛かったのが

『どうして休職中などと、それらしい事を言ったのか』

『収入が無い間の生活費などはどうしていたのか』

『家族は状況を知っているのか』

 

自分なりに言葉に気を使って尋ねました。

無職である理由は自律神経失調症うつ病で働けないとの事。

生活費は実家に無心しているとの事。

なので家族は知っているとの事。

コレを当初の印象や表情とは打って変わり

泣きながら話しだしました。

 

遠い地方から一人東京に出てきて

努力して希望していた職種につけ

一所懸命仕事をしてきたが、望んでいない極端な配置転換があり

重ねて人間関係で陰湿な扱いを受け

心と体を病んでしまう結果になり

結果会社に居続ける事も出来なくなってしまった

今は毎週病院に通い

家族も理解をしてくれているので

当面のあいだ甘えさせて貰い援助して貰っている状況

休業中と言った事には触れていませんでしたが

話を聞き私は単純に可哀想だと思ってしまいました。

 

聞きは出来なかったのですが

これと同時に大きく気になった点が

部屋にある服や物が正直値段が張る様な

身の丈に合ってない感じのモノが多かったのです。

 

精神を病んでしまったのはわかったのですが

親に援助を求める前に

自分で出来る様な事はしないのかなと

その疑問が引っ掛かっていました。

 

引っ掛かった気持ちが有ったモノの

東京に頼れる人も無く可哀想だと思っていたことも

何かの縁で知り合ったのだし

何とか助けになる事が出来ればと

感覚的にはそんな状況でした。

それが毒親と子の関係でも存在する事のある

共依存』のスタートとは知らずに

 

私は日中仕事に行き

女性は通院しながら家事をすると言う生活が始まりました。

女性は極力夕食を作ってくれました。

料理は上手な方だったのですが

その食材の出費が現状に合って無い事と

美味しいと言え、褒めてくれと言う圧力が

私にとってはとても苦痛でした。

今にして思えば承認欲求だったのでしょう。

 

それと女性は健康の為、太らない為という事で

夕食後に雨の日以外は少し離れた大きな公園へ

身体を動かしに散歩に行く事を日課にしていました。

それを私にも強要する様になって行きました。

最初の内は仕事で疲れているだろうから

行ける時に一緒に行こうとの話をしてくれてましたが

自分のルーティンや価値観を共有されていない事が

よっぽど我慢できなかったみたいです。

 

そこでも私の読みと考えは大きく甘かったのです。

この人の望んでいる事をして上げる事が

この人の為になるのだろうと思い違いをしていたのです。

言う事に従う事を選んでしまったのです。

 

この事が更なるトリガーとなり

事態を悪化させていく事となります。

 

つづく

 

 

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