毒親との出会いと同居生活を振り返ってみる

実物で見えた毒親の思考と口癖

こんにちわ。おやつです。

 

私が毒親と直接関わったのは自分の親では無く

台湾人である奥さんの親でした。

当初はお国柄の違いなのか自己顕示欲が強く

良く見せたい・良く思って貰いたいと言う、言動と行動が激しい人だな

ぐらいの印象でした。

 

この後この判断が大きな誤りであったと深く反省する事になるワケですが…

 

奥さんの毒親と暮らしてみたところ

毒親の当初の印象と生活状況

簡単に状況説明をすると

両毒親は60~70代の年金暮らし

父親は公務員でかなりの役職まで登り詰めた人だったとの事。

子供は私の奥さんと年の離れた兄二人の計三人

兄二人はそれぞれ家を出て小学校の教員として独立。

都会のマンションで暮らしていましたが

母親の『田舎に帰って家を建てて暮らしたい』

との希望で、生まれ故郷に家を建てて暮らしてます。

 

と言う話なら、老後の悠々自適な生活を田舎でしたいんですね。

我々には我々の生活がありますし

仕事などの都合も考えたら、都会の暮らしの方が不便がありません。

どーぞいってらっしゃい。

ですが…毒親の望みはそこで終わってはいなかったのです。

 

あなたたちも一緒に暮らすその為に建てる家でもあるのだから

普通の感覚であれば、そうは言われても

生活の変化や相手も居る事ですし、都合や状況を考えて判断する

と言う事が決断に至るプロセスだと思うのですが

親の言う事は絶対と洗脳されてしまっていると

自分で物事を考え、決定を下す作業を取り上げられてしまっているので

決定権が有る様で実際は無いに等しい状況です。

 

その時は私も考えが至らず間違った決断をしたと非常に反省しています。

 

末娘が可愛くて、どうしても側で出来れば一緒に暮らしたい。

ついでに私の事も歓迎して、言ってくれている事なんだろうな

ならば細かい事情はあるにせよ、義理の親が折角言ってくれているのだからと

半ば情に流された判断をしてしまいました。

 

 

毒親と家族に対しておかしいと感じる事が増えて来る

同居生活が始まり日常を共にする事が多くなりました。

二番目の兄が子供を連れて帰って来ました。

話を聞いてみると相手にも問題があった様ではあるのですが

お互いの親同士が折り合わず、半ば離婚させられた結果との事でした。

違和感を感じる事がどんどん増えて来ます。

 

私が常に不快に感じていたのは食事です。

作って頂いたモノを頂戴するのだから文句は言えないと

至って普通な感覚だと思うのですが

ハッキリ言うと、料理が酷いのです。

酷いだけなら我慢して食べればイイだけの話なのですが

私のリアクションが気になって仕方がないと言った感じで

食事中チラチラ何度も私の顔を伺う素振りを見せ

『どう、おいしい?』

マズイとは答えられませんよね。

ただココで気付いたんです。

 

そうとは言えないシチュエーションを作り上げて

ひとつの答えしか言わせない状況にする。

洗脳やコントロールの手法だと。

 

私はヨソ者ですので様子を伺いつつ

どうにか都合の良い様にしたいんだなと

察する事が出来たのですが。

実の子供たちに対しては悪い意味で遠慮が無かったです。

 

その後時間が少し経ち、ヨソ物との同居生活に慣れて気が緩んだのか

少しずつ、そして大胆に言動や行動の端々に

毒親を垣間見る事になって行きます。

 

 

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