こんにちは。おやつです。
前回、毒親の思考と
その毒親に育てられた子供の思考のお話をさせて頂きました。
そこで今回は一般的に言われている優しさと
毒親育ちの人が思う優しさの違いについて考察しようと思います。
毒親育ちの人が優しさと思うモノ
優しさと目に見えてしまうパターン
ただコレは全てのケースに適応しているとは考えておらず
奥さんの家庭における事例をあげたモノになるので
参考程度に読んでいただければ幸いです。
先に言うと分かり易いかと思うので
この様な表現をしますが
一般的にそう思われるであろう
『表面的な優しさ』
コレが優しさだととらえている感じが大いにあります。
親からの優しさと言うモノを知らないから
毒親育ちの人達と言うのは基本幼少時から
得体の知れない緊張感の中での生活を強いられて来ています。
本来なら落ち着くであろう家庭の中で
本当に心から安心して全てを委ねると言った
当然享受されるべきハズの経験を出来ずに暮らして来ました。
その中で私の奥さんも毒親から受けた仕打ちによる傷が
トラウマとなって苦しめられて来ております。
その点は毒親から脱出した現在は、自分を取り返すべく作業によって
少しずつではありますが癒されつつあります。
自分の意見を否定しない=優しい
優しさの話に戻りますが
これは相手の足元を見るとか
裏心が一切無いと言う純粋な意味で
『自分の意見を全て聞いてくれる人』
簡単に言うとコレが優しい人です。
また仕方無くと言う部分も含めてですが
毒親の言う事に自分を殺してでも従う
コレも毒親に対しての優しさだと思っている節があります。
まず、自分の意見を聞いてくれる人というのは
毒親が子供の頼み事や希望などを
一切聞き入れて来なかった、拒絶して来た事に
起因すると考えられます。
そう、毒親は優しく無かったのです。
その毒親の対極に位置するであろう人は
優しい人に値するのです。
ただ相手が本人の為を思い
注意したり、時には怒って指摘したりなどすると。
拒絶された様な気になり
また毒親に怒られる、怒鳴られる様な日常を経験された人の中には
それがフラッシュバックする人もいます。
優しさをもって厳しく接する意味がわからない
例えば、泣きながら叱ってあげる
なんて場面は相手の気持ちや感情がわからず
混乱すると思われます。
私は子供の時よく母親に泣きながらひっぱたかれました。
コレがいいとは別に言いませんが
この様な愛情や優しさの形も有ると言う事が
わからないのです。
相手の機嫌やリアクションを伺わずに
コミュニケーションが取れる場面と言うのが
毒家庭においてはなかなか難しかった為
それを気にせず相手とコミュニケーションが取れ
すんなり要求を飲んでくれることが
受け入れてくれたと言う事に繋がり
希少な嬉しく穏やかな気持ちの成功体験として記憶される
この様なフローだと感じました。
また毒親に対しての優しさと言う表現ですが
厳密に言うと正しくはないと思います。
毒親の望む様に動いていれば
立ち回っていれば
とりあえずはおとなしくしてくれるから
それだけを望んで従っている。
まるで暴君と奴隷の様な関係性です。
一般的に考えられる普通の家庭像とは
かなりかけ離れたいびつな家庭になっています。
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